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アウトリガーカヌーとは

アウトリガーカヌー (Outrigger Canoe) は、南太平洋などで用いられるカヌーの一種。安定性を増すために、カヌー本体の片脇あるいは両脇にアウトリガーと呼ばれる浮きが張り出した形状をしている。この浮きはポリネシア諸語やミクロネシア諸語でama(アマ)とよばれ、これを装備したアウトリガーカヌーはタヒチ語ではヴァア (va'a) 、ハワイ語ではワァ (wa'a) 、マオリ語ではワカ (waka) 、ヴァカ (vaka) と呼ばれている。古代の島々に住む先住民たちにとっては、生活の基盤として移動や漁の為になくてはならない神聖なものでした。

木材をつなぎ合わせて船を作る技術が未だ無かった時代、舟は丸太をくり抜いて作られていました。 しかし、くり抜いた木の幅だけではすぐに転覆してしまうため、その防止に片側もしくは両側に浮き材をつけたのがアウトリガーカヌーの始まりです。

一般的には、片側にアウトリガー(アマ)が付いているのが主流。片側だけにアマがある事により、波と波の間で舟本体が宙吊りになって破損しないばかりか、うねりをうまく逃がして進むことができる。

近年はハワイやタヒチを中心にスポーツとして発展し、様々なレースが開催されている。一方でポリネシアの精神性を象徴する神聖なものとして今でも大切にその文化は伝承・継承されている。

Hull

Hull

ハル:カヌーの船体部分のこと

Iako

Iako

ヤク、イヤコ:ハルとアマを繋ぐ部分

Ama

Ama

アマ(アウトリガー):ハルを支える浮き

Wa'a, Va'a, Waka, Vaka

Wa'a, Va'a, Waka, Vaka

アウトリガーカヌー全体

Manu Hope

Manu Hope

スターン(船体後部)

Kaula

Kaula

イアコとハルを繋ぐ結目

Manu Ihu

Manu Ihu

バウ(船体前部)

Momoa

Momoa

神様が座る場所

Nohona

Nohona

シート(1番から6番まで)

各部名称

日本におけるアウトリガーカヌー

アウトリガーカヌーの歴史

アウトリガーカヌーは、1999年初めて日本の海に浮かびました。

その後、神奈川県・湘南エリアを中心に次々とアウトリガーカヌークラブが設立され、各地で漕ぎ手(=パドラー)が増えていきました。アウトリガーカヌーが楽しめる環境が整うと共に、艇数が年々増えていき、各クラブの活動に加えてレースが定期的に開催されるようになりました。

現在では、年間で様々なレースイベントが各地で開催されるなど少しずつですが、着実に発展を遂げています。ハワイ、タヒチ、ミクロネシアなどの海外レースに出場しているクラブもあります。

また、伊豆大島までのクロッシング(海峡横断)を恒例行事として実施しているクラブもあり、大海原をクルー全員の力を合わせて漕ぎ渡るというアウトリガーカヌーの本質とも言える活動も盛んに行われています。

アウトリガーカヌー(ヴァア)とは、4千年以上に渡って太平洋での航海に使われてきた舟です。


紀元前2世紀には、アジア南部の航海民が太平洋東部に移住したことが分かっています。ここで用いられたシングルハル、またはダブルハルのヴァアが太平洋全域に住む人々の足となり、現在に伝わっていると考えられています。これらのヴァアはセールを用いて帆走することができ、現代のレーシング用の6人乗りヴァアよりもはるかに大きいものでした。

 

ヨーロッパ人が初めてポリネシアへ到達したころ、ポリネシアでは外洋航海に用いる30mを超える巨大なヴァアが存在していたことが記録されています。

 

ヴァアは、東南アジアに起源をもつオーストロネシア語を話す航海民によって創り出されました。これらのヴァアは東西に向けての航海に盛んに用いられ、東はポリネシア諸島やニュージーランド、西はインド洋諸島やマダガスカルに至る広い地域に人々が広がりました。

 

現在でも、マレー語、ミクロネシア語、メラネシア語、ポリネシア語はオーストロネシア語族としてヴァアの文化を継承しています。

 

更に、ヴァアは、スリランカやアマンダン諸島、ニコバル諸島といったオーストロネシア語族とは異なる起源をもつ人々にも広く使われています。

 

ヨーロッパ人として太平洋航海を初めて成し遂げたマゼランの記録によれば、船隊がマリアナ諸島に初めて到達し現地のチャモロ人に遭遇した際、彼らのヴァアの帆走性能が当時のヨーロッパの船の性能を大きく凌いでいたことが記されています。

ポリネシア航海協会(Polynesian Voyaging Society)ではホクレア(Hokule'a)、ハワイロア(Hawai'iloa)という二隻のダブルハルの帆走用ヴァアを所有しています。

 

これらのヴァアは、星や海流といった自然現象を用いる伝統的な航海技術だけで、太平洋のほとんどの島々への航海を成功させています。

 

ヴァアは、現代においても日常的に用いられています。

 

たとえばフィリピンではエンジンを搭載したヴァア(フィリピン語ではバランガイと呼ばれる)が漁業に使われています。フィリピンでは政党のことをバランガイと呼んでおり、これは最初の移住者がバランガイという巨大な帆走ヴァアで航海してきたことに由来するものです。

 

現代のスポーツとしてのヴァアは、漁師同志の競争、集落や島の間の対抗レースから発展してきました。


ヴァア・レースは特にタヒチとハワイで花開き、タヒチでは19世紀初頭から伝統的な祭礼の一部として、ハワイでは20世紀に入ってHuiNaluやOutrigger Canoe Clubという地域クラブチームの活動によって、スポーツとして確立されました。

 

その後、ヴァア・レースはポリネシア、ミクロネシア、メラネシアの島々でも復活を遂げ、オーストラリア、アメリカ、アジア、そしてヨーロッパへと大きく広がってきています。

日本では、ハワイ文化を受け継ぎOUTRIGGER CANOEとして鎌倉にカヌー文化が発祥しました。活動は湘南地域を中心に大きく発展し、現在では全国に約20のクラブと800人ほどのパドラー存在し、ハワイ国際レース"Na Wahine O Ke Kai"では10位入賞を果たしたチームもあります。

 

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